『AIR TRICK SHOW』ライダーインタビュー永井秀夫<前編> #BMXショー #MTBショー

2016年10月、東京、二子玉川の駅前という衝撃的な場所で本格始動を飾ったAIR TRICK SHOW。そこから3年がたち、大規模なイベントに出演するようになった彼らは、「オリンピック競技」としてBMX、MTBが注目されるようになった今、何を考えているのだろうか。


不定期掲載ではあるが一人一人じっくり話を聞いてみたいと思う。


まず始めは、AIR TRICK SHOWを代表するライダーに登場してもらおう。YBP PROJECTとともにAIR TRICK SHOWを立ち上げたJumpersstoreの代表、永井秀夫だ。

永井秀夫(ながい ひでお)
マウンテンバイク(MTB)ライダー
使用バイク Mongoose
1991年9月24日生まれ。28才。
大阪府出身。現在も大阪府在住。
スポンサー:モトクロスインターナショナル、mcインターナショナル、マグラブレーキ、MTB garageZONE、Carbonic(アパレル)


■幼少期~ダートジャンプに辿り着くまで


小さい頃は、外めっちゃ好きでしたね。走り回ってました(笑)。

僕、小さい時からヒーローものに憧れたことが一回もないんですよ。

それよりも車とか電車とか、乗り物が大好きでした。乗り物は一通り通ってて、船、スペースシャトル、飛行機、電車、車と大体好きで。

結局車に落ち着きました。

(永井は今でも無類の車好きで、現在乗っているのは旧式の日産サニートラックである)。

あと、線路沿いでずっと電車を見ている子供でした。


近所に、公園に機関車飾ってるところと、もうちょっと行ったら新幹線の基地があって。夜泣きすると、どっちかに連れて行って電車見せたら泣き止む子だったらしいです。

本当に小さいころから動くものが好きだったみたいですね。

自転車に乗れるようになったのは3歳ぐらいなんですけど、そこから小学5年生ぐらいまでは自転車に興味はなかったです。

まだ車が好きで、ミニカー並べて遊んでました。


小学校4年生の時に自転車のロードバイクをやってる同級生の友達が出来て、それからです。自転車で遊び始めたのは。

自分が住んでいる辺りには結構、有名な峠が何個かあって、暗峠(くらがりとおげ)っていう峠が本当にすぐそこにあるんですよ。


※暗峠(くらがりとおげ)
暗腰奈良街道の生駒山地における難所。日本の道100選の一つ。最大傾斜勾配31%。慣れない人が走行すると立ち往生すると言われている。参勤交代で殿様が乗った籠が滑らないようにするために敷かれた石畳が現存している。


日本一傾斜がきつい国道で、ロードバイク乗りの中では「暗峠で足を着かないで登れたら一人前」って言われています。聖地になってるところなんです。

そんなところを、僕は子供が乗ってるマウンテンバイクもどきで一緒に付いていって、最初は普通にアスファルトの峠を下ってました。それからロードバイクに乗るようになって。僕の最初の自転車はロードバイクです。

(インタビューは永井の地元にある枚岡神社で行われた。大阪市街が一望できるここは、幼少のころからよく遊んだ場所だそう)


あと、小学校5年生から独学でドラムを始めてます。

小学校の先生に、学校にあるドラムセット叩いていい?って聞いたら、朝早くならいいよって言われて、毎朝6時くらいに学校行って叩いてました。朝早いとかそんなのよりも、何かやりたいと思ったらまっしぐらな子供でしたね。


小学校ではドラムと自転車と縄跳びにハマってました。

学校で縄跳びがめっちゃ流行ってたんですよ。誰が一番かって競い合いが激しくて。

で、僕二重飛び連続1000回飛んだんですよ。

オレは今日二重飛び1000回に挑戦するからって友達に宣言して、承認で友達が2人くらいで数えてくれました。

それを放課後にやってたんですけど、800何十回かくらいの時に生活指導みたいな先生にお前ら帰れって言われてしまったんです。

1000回に挑戦してるって分かったら、じゃあ1000回やったら帰れよって言われて。

で、1000回行って、僕はまだ飛べたんですけど強制終了でした。

僕はそれで学校で一番になったという。そんな子でした。

何かやり始めたら、この辺で止めとこうみたいなのがないんですよ。

負けず嫌いが凄くて。


中学入ってからは、一緒に自転車乗ってた友達と離れたのもあって、ドラムがやりたかったので吹奏楽部入りました。パーカッション担当になって。

でも、自分のやりたい音楽でもなければ、ドラムは先輩やってて自分は全然叩けなくて、

一年で耐えられなくなって止めました。

そこから中2中3と自転車で遊ぶようになりました。


友達とサイクリングするようになって、大阪から淡路島まで行ったことがあります。最初は遠出をすることから始めました。

大阪から淡路島までは12時間ぐらい走ったのかなぁ。それで船に乗って島に渡ったら、明石海峡大橋のすぐのところにある道の駅に情報センターがあったんです。

今夜はここで寝よう!と勝手に決めて、淡路島散策しに行って帰ってきたら閉まってました。

えー!閉まってるやんって、そこで挫折して、深夜3時の船で本州に戻ってきました。

そこからまた自転車漕いで、昼前とかに家に着いたのかなぁ。


自分の持っている情熱をどう自転車にぶつけたらいいのか分からなかったんですね。

■ダートジャンプとの出会い


そのうちサイクリングでは物足りなくなってきて、この辺の山でダウンヒルの真似事をしてたんです。

その頃はダウンヒルっていう競技があるっていう事は知りませんでした。

いい場所ないかなって色々探しているうちに、奈良と大阪結んでる阪奈道路っていう峠の間を縫うように林道があるのを見つけました。

そこを走っていたら、そこを自分たちのコースにして走っているダウンヒラーの60歳ぐらいのご兄弟との出会いがあって。

その人達と1年ぐらい一緒に走って、ダウンヒルってこんな世界があってねっていうのを教えてもらいました。

タラの芽取って天ぷらにしたりとかもしました。


その方達が、僕がコースの途中のちょっとしたバンクとかセクションで遊んでいるのを見ていて、連れて行ってくれたのが深北緑地でした。

僕は全然知らなかったんですけど、阪奈のコースから深北緑地が近かったんです。

いろんな人に導いてもらってますね。


※深北緑地
大阪府大東市にある公営公園。MTB、BMX専用のエリアにダートジャンプコースがある。


深北緑地に連れて行ってもらったのは中3の終わり頃です。

ビックリしました。ほんまにビックリしました。

これ飛べるのって。

17年前なので、今よりも飛べる人が少なくて、1個目のジャンプは飛べるけど連続して2個目は飛べないとか、そんなレベルでした。

だから2個目も飛べる人がいると、めっちゃかっこいいなって思いましたよ。

深北で初めて飛んだのは、連れて行ってもらったその日です。

チャレンジはしたんですけれど、その日には全く飛べなかった。コケました。

自分の住んでいるところから深北緑地まで18km ぐらいだったので、そこまで自走で通うようになりました。だいぶ通って、2週間後ぐらいには飛べるようになりました。


その時、性能のいい携帯が無い時代だったので、友達に8mm のカメラで飛んでいるところを撮ってもらったんです。

僕としてはその1個目2個目を飛べた時は凄い浮遊感があって、俺飛んでるでしょう!と思っていたんですけど、家帰ってその8mm のビデオを見たらジャンプがとても小さく見えたんです。


自分の体感しているものと、こんなに違うのかって。


自分の中ではどんだけの勇気振り絞って飛んだと思ってんねんて感じなんですけれど、客観的に見たらこんなもんなのかって思いました。

飛べた嬉しさよりも、その衝撃が大きかったですね。


それまで僕、ナメてたんですよ、自分もやればできるやろと思って。

それからMTBマガジンとかで、飛んでいる写真を見て研究するようになりました。

写っている写真の中でとても大きく飛んでいるこの人達は、プロは凄いんだなっていうのが分かったんです。

ガンガン乗るようになりました。


深北緑地でちゃんとした業界とのつながりができるようになって、やっと競技者として入口に立ちましたっていう感じですね。僕のデビューは割と遅いんですよ。


僕は深北緑地に通うようになってからもダウンヒルが好きで、両方やってたんです。そして、堺の方の大泉緑地ってレースコースに練習に行くようになりました。

そこで友人のつながりでサポートを受けられるようになって、レッドブル・アーバンクロスに出場しました。


※レッドブル・アーバンクロス
2008年開催。名古屋の市街地の真ん中に作られた木造のコースを一対一で競い合ったMTBレース。


レッドブル・アーバンクロスではベスト8まで行きました。

井本はじめさんとか清水一輝さんとかあの辺がもちろん出ていて、全くみんなに知られていない中でベスト8まで行ったから、あいつ誰?ってなったみたいです

その時海外のバイクメーカーからサポートを受ける予定になってたんですけど、自転車本体がまだ日本に入ってきていなかったんで、そこのジャージを着てレッドブル・アーバンクロスに出ました。

僕の名前が分からないから、皆さんにその「メーカー名」で呼ばれていたらしいです。


大泉緑地のローカル定期レースもずっと出ていて、MTBのシリーズチャンピオンになったこともあります。レーステクニックとかトレイルのテクニックはそこで覚えました。

レースのテクニックがあると、自分のライディングの基礎力が上がるのが分かるんです。だから結構頑張ってましたね。

ダウンヒルの方でもサポートをもらうようになって、全日本選手権に出て、一番下のクラスで2戦目に勝てたんです。なのに、次からエキスパートっていう時に深北で骨を折ってしまいました。

1年でエリートまで上がりたかったから、骨がくっついていない状態で最終戦だけ出場したんですけれど、全然走れなかったです。

その年の暮れにアキファクトリーチームからkonaでダートジャンプのサポートをもらうことができて、次の年からダウンヒルは出ずにダートジャンプに行ったっていう感じですね。


■喪失、そしてJumpersstoreへ


漠然とスポンサーもらう立場っていうのに憧れて、ここまでガムシャラにやって来ました。

けれど、いざそのkonaに入ってみた時に、自分が思っていたよりMTB、BMXがマイナースポーツであることを痛感させられたんです。

お金の面でも、自分が駆け出しだから報酬が少ないのかな?って思ったんですけど、どうやらそうじゃないぞということに気付いて。


konaでは一年ぐらい走らせてもらいました。その最中に、オーストラリアに1か月練習に行ったんですよ。

トシオくんがオーストラリアに家を借りて、ダニエルくんとかアグネスくんとか呼んでみんなで一軒家シェアしているところに僕も1か月お邪魔させてもらったんです。


※トシオくん 高木聖雄。オリンピックに向けて注目度の高まっているBMXライダー。2019年全日本選手権2位。
※ダニエルくん 米田大輔。最近ではイベントMCも担当する、メディア出演の多いBMXライダー。
※アグネスくん 中谷駿仁(なかたにはやと)。独自のスタイルを持つBMXライダー。


そして日本に帰ってきたら、日本ではダートジャンプの大会がめっきりなくなっていました。帰ってきたのに、目指す場所がなかったんです。

その時もう僕の中で、では海外に行こうかっていうまでのモチベーションはなくなっていました。


今自分に目指すものがないんだったら、辞めようと思いました。

目指すものがなくてもいいじゃないか、楽しくゆるく自転車に乗ろう、とは考えなかった。

そこから1年間、まったく乗らんかったんです。


1年経ったら、自分がどんだけ自転車が、MTBが好きだったかっていうことと、10代の時間を捧げてきたものなのに何も残していないなって思うようになりました。

今まで良くしてもらっていた人にも一切連絡を取らずに、自転車の世界を切ろうと思って、完全にバッサリ切っていたんですけれど、それでもまた乗ろうと思った。

1年ぶりに深北緑地に行きました。


久しぶりに乗ったら、楽しかったんですよ。楽しかった。

ジャンプも飛べました。


そうやって深北に戻って乗り出して、僕よりもまだまだ若い、とても頑張ってるなぁと思う子達と話していて、

とても頑張っているけれどプロになりたいの?と聞いたら、別にそれは考えていないって言われたんです。


あ、一歩引いて自転車と付き合ってるんだなって感じました。

僕よりもずっと早い段階で、プロを職業にするには難しいっていうことを察知しているんだなって。


僕の中では衝撃的な事でした。

その時に自分は20歳ぐらいだったんですけれど、若い子たちにプロを志してないって言われたのは本当にショックでした。

がむしゃらにプロを目指しているわけではなくて、今楽しければいい、みたいなのが、僕の中にはない考えだったんです。

僕は何でもやるなら一番になろうって思うので。


そして、彼らの話を聞いて、彼らは彼らで自分とは違うんだっていうことよりも、プロとかてっぺんに魅力がないんだなっていうのをすごく思ったんです。

日本のBMX、MTBのプロに野球選手ぐらいのステータスがあったら、きっと目指したいって思ってくれるんじゃないかって思いました。

それで、何かできないかなって思ったのが、Jumpersstoreの始まりなんですよ。

BMX、MTBの魅力を広げるためのイベントを自分で打つ、そういうことが出来ないかなと思い始めたんです。

1回、自分の中で挫折期間があって、挫折している間に何も残していないっていう気持ちも大きかったので、戻って来たからには何かやりたいなと思って。

BMX、MTBで人を呼べるようなイベントを打ちたいんです、どうやったら人に見てもらえますかねって、いろんな人に相談しました。

その中で深北の OBである林さんが、一緒にやろうって言ってくれて。


今までだとBMX、MTBでイベントをするっていうと、コースでやるのが前提だったんです。お客さんにコースに来てもらうのが前提になってしまうんです。でも、自転車業界以外の人にいきなりコースに来てもらうのは難しい。じゃあ出張しようっていう話になって、どこにでも出かけて行ってデモンストレーションを行うJumpersstoreが生まれました。

BMX、MTBのジャンプ、デモンストレーションが世の中に受け入れられないかもしれないっていう不安は、全くなかったです。

これ僕の中ではめちゃめちゃ凄いスポーツだと思っているので。

とりあえず見てもらえたら凄さはわかってもらえる。楽しみ楽しませられる確信はありました。

どうやってそれを実現するかしかなかったです。


実現するのが難しいとか、どうやって儲けるのかとか、そういうことを言う人はいました。でも、競技に魅力がないと言う人はいなかった。

僕と似た思いを、深北で乗っていた人たちは皆持っていたんだと思います。行動に移せずにいる人たちが、ちょっと突っかかってくるみたいな事はありました(笑)。

でも、根本を折られることはなかったです。


初めてJumpersstoreでイベントに出演した時は緊張しました。めちゃめちゃ緊張しました


その頃はまだBMXの全日本選手権もなくて、当時うちのジャンプはBMX、MTBのジャンプとしてはとても大きかったんですよ。

(大きい=飛距離が長く、高さもあるジャンプ)

出演してくれたライダーさんの中には、これは飛べないっていい出す人もいたんです。でもなんとかみんなで最後まで飛んで、無事終わりました。


その時はもう、嬉しかったですね。「できた」ことが。


初めてデモンストレーションをするまでは、出来るのか出来ないのかっていうレベルの不安があって、お金もないし、出来るのかってそれが一番不安だったんです。

とりあえずそこからは解放されました。

じゃあどうやってこれを良くしていくのか、続けていくのかっていう考えになりました。


<後編>へつづく


10月26日、27日はバスケBリーグ #千葉ジェッツ の試合のハーフタイムにて『鎌ケ谷巧業 Presents AIR TRICK SHOW』を開催。DAY2に向けて制作したスペシャルムービー。

自走する乗り物でジェットコースター感覚で楽しむことができる”パンプトラック(PumpTrack)”の国産ブランド「Compact Pump (コンパクトパンプ)」の販売をスタート。

「Compact Pump (コンパクトパンプ)」の導入事例

「Compact Pump」の販売を行うbb projectでは、各地にてBMXやスケボーのパーク造成を行なっています。


パーク事業部「JumpersBuild」

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